プロフィール
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Okinawa's Artiste・Talent

歌う琉球サンバユニット
「宮城姉妹」妹のYayo
沖縄県那覇市(故郷は大宜味)

「宮城姉妹」オフィシャルHP
→https://miyagi-sisters.jimdo.com

ダンサーYayoプロフィール(Works)
→詳細はこちら


☆15’~大宜味村ふるさと観光レディ
☆14’~BEGINマルシャ・ショーラダンサー
☆19'~初のミニアルバムCD「NA・NA・NA VIDA」県内レコードショップ発売中
< 2025年01月 >
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2024年12月22日

幾つになっても、何度経験しても。愛情が深い人達との死別は辛いですよ

幾つになっても、何度経験しても。愛情が深い人達との死別は辛いですよ

この数日で今年は夏が長かった沖縄もようやく
冬らしくぐっと冷えてきまして、
やっと年末感が出てきました。


先週末は、金曜は親しい友人達と
土曜はサンバ教室の集まれる方々と
(石垣島パレード終了後、打ち上げに
参加出来なかった方もいらしたので)
立て続けに忘年会でした。

親しい友人達との会食では、終始大笑いしぱなしで(笑)
最近共に取り組んでいる仕事の話題などで盛り上がりました。

お教室の方は、これまで中々なかった機会なので
(私が生徒さんそれぞれのお仕事や生活、
その他の情報を知っている事は多くても、生徒さん
通しで互いを知る機会や交流の機会は少なく)

改めての自己紹介がてら
私がインタビュアーのようになって
お一人お一人の今年一年どのような
年だったのか伺い、皆でコメントし合ったり
互いを知るような良い時間となりました。

ただ、最後にどうしても私の中で引っかかって
いたので、どちらかと言うと楽しい話では無いので
しない方が良いかなと思いつつ、
生徒さんの中には「あまり明るい話では無いのですが...」
と、昨年のお父様とのお別れから、更に引き取ったペットとの
別れの事で悲しい思いが続いている事を語って下さった方がいらしたのと、

私が11月15日の四十九日にInstagramで
その事を掲載してから「腫れ物に触る…」では
無いですが、触れて良いのかどうか
ドギマギしている空気感も感じていたので。
(生徒さんの中にはわざわざ早く
お越しになり、お悔やみを伝えて下さった
方もいらっしゃいましたが。。。)

私も今年を振り返った時に、
母の事はまだ2ケ月前の出来事で、
蓋をしておけない事だったので
(お仕事場のお教室では余計なので自分の口からは
言いませんが。)
自身の事を素直に話す事にしました。

実は9月末に母が亡くなり、この先イベントが目白押しの
時期で本音は心身クタクタで辛かった事。
でも一通り無事終える事が出来た今、改めて皆さんと
一緒に踊れる場が設けられ、参加頂き感謝して
いますとお伝えしました。

表の出番の時っていつもそうなんですが、
特に誰かからお金を頂いてやるような物では無く
関わる人達との絆や元気、その土地・街に
明るさが広がりますようにと参加するイベントは、
時間や労力、実費など個々の持ち出しが多く
「どうしようか...」と参加に悩んだり、実は準備段階
でもあまり気がすすまない事も、人も多いんです。

それだけ皆さんお一人お一人の気持ちで
全て成り立っているという物。
特にダンスをプロのお仕事としている私からすると
気持ちの部分で余裕、意欲がなければ
中々出来ない事でして。
もし一人でエントリーしている物であれば、
主催の方には迷惑をかけますが、「ごめんなさい」
していてもおかしくは無い、母が亡くなって直ぐの
心身の状態でした。

ですが、「よし!今年から楽しい事色々やりましょ!」と
皆さんへお声かけした手前、最後まで果たすべき責任が
ありますし、その時初めてその責任ってけして軽い物では無く
(ネガティブな意味では無く)重たい物だなと感じました。

ですが何とかやりきれた結果、
やはり大好きなサンバや、皆さんと踊れる場、
「陽」のエネルギーに励まされている自分が居た事。
恐らく母も、私達宮城姉妹の一番のファンであり
歌踊り、楽しい事が大好きな明るい母だったので
「良くやったよ!お母さんも楽しかったよ」と、
喜んでくれていると思います。

家族の支えや、真心あるサービスが
素晴らしかった葬儀屋さんのプロのお仕事、
訃報を知って声をかけて下さった方々の
励ましで何とか耐えれたと思いますが、
いつポキっと折れてもおかしくは無い、
細くて不安定な心の柱で、自分自身本当に良く
やったなと今年最後に振り返っております。
(周囲には気丈で、どんな時も強い人と
思われているようですが...)

今年最後と言えば、、、
ようやく少し自身の時間も取れるようになってきた
今、年内の大掃除も心を鬼にして、勇気を振り絞って
一人黙々、コツコツと取り組んでいます。

常に側にいて献身的にお世話してきた、
残された家族は、やはり辛いですよ。

虚しく取り残されたその物達が眼に入ると
「あぁ、母との明日が、来月が当たり前にある何て....
何て浅はかな考えだったのだろう」と。

幾つになっても、何度経験しても。愛情が深い人達との死別は辛いですよ

在宅介護時代に使っていて、また使う時が
あるかととっておいたプラスチック製で軽い食器類。
これ可愛いねとお気に入りだったふりかけの容器。

嚥下が困難となってきた時期にとにかく
食欲があるうちは何か口にして貰いたいと、
先、10月の通院付添時の事も考えて買っておいた
とろみ剤や口にしやすい介護食。
親族も高齢化が進み、近い将来(使用期限内で)
使えそうな物以外は勿体無いですが、
不必要となってしまったので処分しなければなと。

施設から引き取った衣類や、自宅で保管していた
衣類は、私の方で随時片付けしていましたが、
それでも45Lの袋10個分ぐらいはあったので、
日常の家庭ゴミとして少しずつ出せるよう更に小分けにして
自身の心の整理も兼ねて少しずつ処分するように。
現時点ではほぼ9割方終えた状態。

衣類に関していうとほぼ全て私が、母が好みそうな色、
デザインの物を仕事の合間に探して購入しており
必要な時には、母の着けやすい丈に裾直しをして、
施設なので全部に名前のタグをつけて
持たせていたので、何かと思い入れがあり、
これもまた自身で処分しなければいけない作業は
中々辛かったです。
つい最近買った物、新品同様の物で使える物は
姉や叔母へ早々に形見分けしました。

と、人一人亡くなり。特に自身の親であるとか
楽しい思い出も、ぶつかったり、大変だった事も
全てひっくるめて、
深い愛情で繋がっていた人達との死別は
仕事上、タテマエ上、
その人がクールに平気なフリを装っていても
辛いは辛いのです。

家族ですと、介護や看病を終えても
亡くなった後、待った無しの様々な手続きに
走る事にもなりますし、相続の事や遺品整理と
物理的に必要な事もまだ続くといった大変さも
ありますから。


話題は変わりますが、

(新聞にも出ていましたので、オープンにして
良いかと思いますが)

私自身も関わりがあり、お世話になった方
なので本当に寂しい気持ちになりましたし、
特に、自身もつい最近経験した当事者として
ご家族の事を思うととても胸が痛く
悲しみが深いであろうなと思う出来事がありました。

幾つになっても、何度経験しても。愛情が深い人達との死別は辛いですよ

私が普段、週一ダンスの先生としてお世話になって
いる「読谷中央幼稚園」の創設者、園長の仲村 実利先生が
12月17日にご逝去されました。
私がその訃報を耳にしたのが12月18日の午後で、
その後の仕事の予定もあったのでお通夜に行く事が
出来ず気になっていました。
ただ、翌日ちょうど12月19日の木曜はダンス授業で
伺う日で、その日の午後に告別式が近くで行われるとの事。
授業は午前で終わるので、いつも直ぐ帰宅していましたが、
予定を調整し居残りで参列させて頂こうと
準備していました。

すると、、、、
葬儀会社の方の計らいで、当初予定になかった
出棺後に園に立ち寄り、回って下さる事となりまして。
やはり寂しくて悲しくて、子供達を前にしても
シクシク泣いてしまいましたが
園長先生へ改めて、感謝を伝えるお別れが出来たので
タイミングとはいえ、、本当に嬉しかったですし、
良かったなと感じました。

そうそう、後から振り返りが出来る心境に
なった時に、遺族の先生にお渡ししようと思い
動画もまわしていましたが、
ちょうど、園長先生の車が園内に入ってきた時に
雨粒が「パラパラ」と落ちてきまして、

奥様の理事長先生と、次女でいつも音楽やダンス
(子どもミュージカル)の事でやり取りさせて頂いている
志乃先生が車から出てこられ、
園長先生の位牌や遺影をお持ちになり
子供達やスタッフに挨拶して下さった時はしばし止みました。

そしてまた、皆で童謡「おとうさん」を歌い感謝を伝えた後、
最後のお別れ、お見送りをして霊柩車が動き出そうと
した時にまた「ポツポツ」と今度は大きな雨粒が
落ちてきました。
子供達と「お空が泣いているね!園長先生が嬉しいって泣いているね」
と、私も泣き笑いで、最後は笑顔でお見送りしました。

自身も経験したり、
似たような経験をされているご家族を
側で拝見していて

死別の悲しみや辛さは

(自身の一方的なエゴからくる物を除いて)
日頃から恐れず、自身の労を厭わず
一つ一つの事に愛情や信念を持ってサポートしたり
取り組んできた、コミュニケーションしてきた人にだけ
与えられる証であり、その関係性がとても有意義だった事を
現わした尊い物なのだろうなと。

姿形は消えてしまっても、その故人と遺族とを結ぶ、
本人達にしか解らない、深い絆は失われる事なく
むしろあの世の応援団として、
ずっと側で穏やかに見守ってくれる存在になると
思います。

あと、大事な家族を亡くすと
これまで見てきた景色が一変して見えてしまう
という事も良く言われますが、
自身に悲しい事があったり、気を落とすような
出来事があったり、上向きになれない時こそ
周囲の状況、人間の本質が冷静に見てとれます。

調子が良い時、
この人にくっついておけば良い事ありそう!
良くも悪くも人が寄ってきやすいはずです。

その逆で、辛い時にその辛さを想像してくれたり
解ってくれ、優しい言葉や気遣いをそっと差し出して
くれる人こそ、私個人としては今後もこちらから
お願いして継続したお付合いをお願いしたい人達
であり、自身もそういう人でありたい、見習いたいなと思える
心も行動力もある人達です。
そして実際、その方々からの直接の言葉やメッセージ、
心遣いには本当に励まされ、労いを頂き
私も重く暗かった気持ちが穏やかになれましたし、
とても感謝しています。

自身も常々動く前に考えてしまうので、
「やる後悔より、やらない後悔!」と自分自身に
言い聞かせる事が多いのですが、
気持ちはあっても
それを形に出来る人と、出来ない人とでは
私は雲泥の差があると思っていて
「形にする」「行動する」という事はほぼ全てにおいて
勇気や責任を伴う事が多いと感じるからです。

なので、この今年後半の
人生後にも先にも最も辛い母との死別、
また、家族以外にも愛情深い好きだった方との
お別れを通じて、色々な事を考えさせられましたし
実際、今後の自身の生き方にも良い影響として
少しずつ昇華していけるかなと
(やはりここまで少し無理をしていたので、本当に少しずつ)
感じています。

やがて今年も過ぎようかというタイミングで
まだ完全に癒えたというわけでなないけれども
けして悪くはない心の熟成の機会になっているなと
2024年を振り返っています。
手放す時は苦しいですが、その後はスッキリとして
気持ちが良いので、
引き続き不要品の手放しやお掃除も出来る時間に
コツコツやっていこうと思います。



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